6年前の記事を書いてから

6年前の3月・4月に記事を書いてから、わたしはサークルを始めた。

既存のサークルに4年生から入る勇気はなかったため、

何も道具がなくても、やる気もなくてもできるサークルを作った。

 

就活も進める必要があり、ゼミの先輩が入った企業の話を聞いて、面接を受けることにした。

自由な社風のようで、自分のやりたいことをやらせてくれるベンチャー企業とのことだ。

さっそく面接に行き、サークルを作った話をした。社長は興味を持ったのかふんふんと聞いてくれた。

数日後にメールかなんかで内定のお知らせが来た。

 

わたしはその後、それ以上企業を受けることはしなかった。

やりたいことや入りたい企業は殆どなかったし、あったとしても単なる憧れレベルのもので、自分が入社できるイメージは到底浮かばなかった。

親はもちろん心配したが私は意に介さなかった。

その頃の私は、親の心配を真に受けていたら生きてはいけないと考えていたように思う。

 

就活が終わってもサークルは続けて、これを通じていろんな人と知り合えた。

毎日のように大学で集まって、話したり遊んだりした。

2回目の4年生にして、初めて「みんなと集まる」ことを積極的にやった。

 

また、1年生のときに密かに付き合っていた人と、偶然のきっかけで再会した。

京都で待ち合わせ、夜遅くまで一緒にいて、また会おうねと言って別れた。

この再会はその後数年間の人生を大きく変えることとなった。

そのあとLINEで付き合う約束を取り付けて恋人同士になった。

 

恋人にはなかなか会えなかったけれど、友達もいるし2013年は終始リア充していた。

年の終わりには、恋人と雪の降る奈良と和歌山の奥地に旅行にも行った。

日本一長いつり橋も見たりして、人生の中でも有数の美しい景色をいくつも見た気がする。

 

2014年に入るといよいよ社会に出るときで、家族でイタリア旅行に行ったり友達と台湾旅行に行ったりして、卒業した。

会社は池袋にあるので、母親の引き止めたいという意志を感じつつも、埼玉に家を借りて、引っ越した。

わたしの現状

まず過去を紐解く前にわたしの現状を書いていくよ。

 

・某公務員

・転勤で知り合いのいない某県に一人で住んでる

・大きく言うと不動産関係の仕事

・朝8時から夕方5時~6時まで働いている

 

最近の悩みは転職のこと、休みの日に一人で過ごしていてきつい気持ちになること、

将来のためにできることをやりたいけどなにをやればいいかわからないこと だよ~。

 

ご飯は超簡単な自炊か、駅ビルで食べたいものを食べてる。

趣味にドライブが増えた。仕事で運転することが多くて運転に慣れたため。

遊ぶときは車で遠出して、山の方へ行ったり温泉に行ったりしている。

電車に乗ることはほとんどない、乗ってもここ以外の行き場所がない。

 

この土地はのんびりした土地で、職場の雰囲気も見ため和気あいあいとしている。

正社員以外の事務員さんたちはみんな地元か転勤族の妻の女性たちで、仕事中もおしゃべりしたりお菓子を配ったりして仲良くしてる。

 

仕事自体も書類仕事が多くて、ドライブの出張も多い。

一緒に行動する先輩とも仲良くやっているつもり。

 

はてなブログをまた書こう

最近また転職を考えていて、自分の得意分野とか好きなことをはっきりさせる必要が出てきた。

過去の人生や感情について考えてみたが、他人にも理解できる言葉で自分を表現する能力がどんどん劣化していることを感じた。

だからブログでも書いてアウトプットしようと思った。

そういえば昔つくったはてながあるじゃないか。

 

久しぶりに訪問してみると、6年前にも自分は就活についての記事を書いていたようで驚いた。

当時の自分は就活でしんどい思いをしていたようだが、思ったよりしっかりとした言葉で自分の気持ちを書いていた。

 

人間の人格というものがいつ固まるのかはわからないけど、少なくとも6年前の22歳のときから、自分の性格の根本の部分は変わってなさそうだと思った。

わたしは今も、仕事の選択で悩んで、うまく生きられる人にはなれずにいる。

「どこかいい会社」に入れればいいというわけでなはく、仕事そのもの、いうなれば職種を自分のアイデンティティにしたがっている。

 

しかも自分は6年前にも「プログラムを書いて何かを作りたい」とか言ってる。

ちょうどここ1か月、オンライン動画でPHPの基礎をかじっているが、こんなにも昔からそっち方面に興味を持っていたことは忘れていた。

なぜわたしは自分が好きだったことさえ忘れるんだろう。

 

6年前の記事のあと、自分がどのような人生を歩んだのか書いてみようと思う。

自己分析のために必要かもしれないので、自分が大学に入るまでの過去のことも書くかもしれない。

 

自分について考えて書くのは楽しいことだ。筆が進む。

きっとこれは完璧に自分自身のためで、他人の目を意識せずに済むからだろう。

 

めんせつ☆はんせいかい

 

4月11日にリクルートの二次面接があったけどいまだ連絡なし!てことは落ちてる!

 

「運が悪かったしかたない」ではなく、きちんと反省して次に活かそ~

 

この日の面接官は、1次のやさしいノリの良いお兄ちゃんではなくて、冷静かつ覚悟をもって仕事してそうな、30代半ばのふくよかな女性だった。

 

覚えてる質問は

1.学生時代に頑張ったこと

2.頑張ったことの中で苦労したこと、その解決手段

3.仕事をする中で、学生時代の苦労のようなことが起こったら実際

4.インターネット領域に応募してきた根拠となる技術・経験(使えるプログラミング言語やウェブ制作の経験)

5.リクルートでやりたいこと

6.逆質問

 

もっとあったかもだけどはっきり覚えてるのはこのくらい。

 

まぁ応答の内容もあれだけど、まず今回の面接官に対して私はリラックスして振る舞えなかった。

 

私はどうしても中身が子供っぽくので、にじみでる幼さや甘ちゃんさを隠すには真面目ぶるしかないのでそうした。

 

けど、今回の面接官にはたぶん私の姿はペラく映ったと思う。真面目にしてるだけで仕事への情熱とかはない人間に見えたと思う。

 

面接の答えとかあまり用意せずに行ったし、態度だけが原因ではないだろうけど。

 

応答内容で致命的(?)だったのは、「リクルートでやりたいこと」がもうすでにやってることだったこと(ウェブ上で簡単にOB訪問できるようにするサービス)

 

あと、頑張ったことの中で苦労したことってのがペラかったこと。

 

正直、困難にぶちあたってエクセレントな解決策を考えて実行して事態を好転さす、という経験が話せるほどないのでこの質問はつらい。

 

人生で一番つらかったのは中学の部活の時だけど、ただひたすら耐えるだけで解決はしなかった(退部した)ので、話してもウケがよくない気がする。

 

「人間関係のつらさに耐える系」の話は、「学生時代から仲間を否定して生きてきた人」と捉えられそうでこわいしね。

 

あーゆう覚悟持っててある種冷徹系の仕事人には、どんな言葉が効くだろう。某研究者志望の友人とかすごい得意そうな面接官だ。

 

そして、次に苦労を乗り越えた経験について聞かれたらどう答えればいいだろう。

 

ちなみに、ただひたすら耐える系の努力でも、学べることはあった。

 

それは、「つらかったら周りの人に話さなきゃダメ」ということだ。

 

私はあの時、学年部長としての仕事がつらいばかりでなく周りから軽んじられてたのが非常につらかった。

 

「周りが思ってる私と、私が自分だと思ってる私がずれてる」これが非常に苦しかった。

 

あの時の私はそれをまわりに言うことができなかった。

 

でもこれからはそれじゃだめだと思う。周りは冷静に見たらそこまで悪意ある人ではない場合が多いし、言われたことが本当に嫌だったら言うのやめてくれる人が多いんじゃないかと思う。

 

自分の周りからの扱いが嫌だとか、仕事が重くて苦しいだとか、同僚の人にきちんと伝えていこうと今は思っている。恥ずかしくて、少し怖いことだけども。。

 

「つらかったら周りに言う」・・・これなら、周囲を含めた視点からの回答だから、評価してくれる面接官も意外といるかも・・・とか妄想してる。

 

 

 

整合性

私は去年就職活動をして、9月と11月にそれぞれ証券会社1社ずつから内々定をもらった。けれどそれを蹴って、また今就職活動している。

もっと言えば、その2社を蹴る間に他の会社に入れる可能性もあったけれど、なぜか自分はそこではやってけない、そこに入るとつぶれてしまう、という気がして結局辞退した。

 

私の中では、この一連の流れは過去の経験やその時の自分の気持ちに照らして行動した結果なので、別に奇異なものではない。

 

けれど一般的に言って、11月までかかってようやく内定とったのに、それをハッキリした理由もなく蹴ってしまうというのは異常な行為に見えると思う。

これが「他にどうしてもいきたい企業があった」とかならともかく、私は「とりあえずどこでもいいから」的な気持ちで就活していたのだ。

冷静な人は、「そんなんだったら初めから就活なんてしなきゃよかったのに」と言うだろう。

 

今の私は、社会に出ることにはもうそんなに後ろ向きではない。

でも就職活動して、働く大人の人と(表面的でない)自信を持って話せる人間ではない。

 エピソードがしょぼいから自信ないとか、すごい経験してなくても内定はとれるんだよとか、そういう次元の問題でもない気がする。

 強気な言い方だが「こねくり回してとるような内定ならいらない」という気持ちもある。

 

もっと心の底を分析して言えば、私は世界ときちんと接続できていない感じがする

働く大人の人と会話するときに必要な「無意識に共有できる前提」が、私にはすっぽり抜けている、ような。

 

そしてその「共有できる前提」というのは永遠に自分には手に入らないかもしれない、そんな気さえする。

 

短期で実績を出すとか、何かを成し遂げて次のステージに上がるとか、そんなことに価値を見出してこなかった人間だからか。

 

自信がないのではなくて、世の中の人々の価値観が根本的に理解できないから、自分もまたその評価軸の中で評価されることはないと思っている。

 

ポジティブなこと

文章にその時の自分の感情が反映されるのは仕方のないことかもしれないけれど、やっぱりどうも暗くなってしまう。

暗いままはよくないので、今日あった良いことを書いていこうと思う。

 

・昼の1時まで寝られた

・バイトの面接の予定ができた

・オークションで落札してもらえた漫画2セットを落札者に送ることができた

・晩御飯が豆乳鍋だった

・チョコレートケーキを食べた

・ニトリの説明会を予約した

・机の上が片付いた

・ドラッグストアでそこそこの値段で評判のよさげな美白スキンケアラインを見つけた。500円でそれのおためしせっとを買った

 

今日は1時まで寝てただけにしょうもない1日だと思ってたが、こうして書いてみると結構いいことあるじゃないか。

この中で一番よかったのは、まぁ予算の範囲内の美白ラインをお試しできたこと。さっき風呂上がりに塗布してきた。顔が明るくなったら、現品購入してみようか。

 

今日の反省は、観終わったDVDを持ってツタヤに行ったくせに、返却せずに家に持って帰ってきてしまったこと。音楽コーナーを眺めて終わってしまった。

 

それにしても自分のツイッターアカウントは、せっかくゼミの人やインターンの友人がフォローしてくれたというのに重い(つーか真剣すぎる)つぶやきとかRTとかが多い。

もう少し明るくて軽いノリのをつぶやくよう心掛けたい。

 

 

前向きと抑圧

大学生の就職活動。みんなは就職活動というものを前向きにやってるのかな。

 

私はあまり前向きではない。自分の体の体積の1000倍くらいある大きな丸い岩に自分の人生のスペースの大半を占領されながら、底の底の狭い隙間で息をしている感じだ。

 

もっともこんな毎日でも中学や高校のときよりよっぽど自由な感じがしている。「あの時と比べればマシなんだから私は幸せ」なんて、絶対言わないけれど。