整合性

私は去年就職活動をして、9月と11月にそれぞれ証券会社1社ずつから内々定をもらった。けれどそれを蹴って、また今就職活動している。

もっと言えば、その2社を蹴る間に他の会社に入れる可能性もあったけれど、なぜか自分はそこではやってけない、そこに入るとつぶれてしまう、という気がして結局辞退した。

 

私の中では、この一連の流れは過去の経験やその時の自分の気持ちに照らして行動した結果なので、別に奇異なものではない。

 

けれど一般的に言って、11月までかかってようやく内定とったのに、それをハッキリした理由もなく蹴ってしまうというのは異常な行為に見えると思う。

これが「他にどうしてもいきたい企業があった」とかならともかく、私は「とりあえずどこでもいいから」的な気持ちで就活していたのだ。

冷静な人は、「そんなんだったら初めから就活なんてしなきゃよかったのに」と言うだろう。

 

今の私は、社会に出ることにはもうそんなに後ろ向きではない。

でも就職活動して、働く大人の人と(表面的でない)自信を持って話せる人間ではない。

 エピソードがしょぼいから自信ないとか、すごい経験してなくても内定はとれるんだよとか、そういう次元の問題でもない気がする。

 強気な言い方だが「こねくり回してとるような内定ならいらない」という気持ちもある。

 

もっと心の底を分析して言えば、私は世界ときちんと接続できていない感じがする

働く大人の人と会話するときに必要な「無意識に共有できる前提」が、私にはすっぽり抜けている、ような。

 

そしてその「共有できる前提」というのは永遠に自分には手に入らないかもしれない、そんな気さえする。

 

短期で実績を出すとか、何かを成し遂げて次のステージに上がるとか、そんなことに価値を見出してこなかった人間だからか。

 

自信がないのではなくて、世の中の人々の価値観が根本的に理解できないから、自分もまたその評価軸の中で評価されることはないと思っている。